2010年01月03日

2009年の紅白が面白かった件

 2010年、あけましておめでとうございます。
 2009年に始めたこのブログを、本年も読んでくださっている皆様、本当にどうもありがとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 年明け初のブログともなれば、抱負やら目標やらを書くのが相応しいとは思うのですが、今日は2009年の第60回紅白歌合戦について書きたいと思います。

 今回の紅白、私は「粒ぞろいで、いいものを観せてもらった・・・」という感想だったのですが、皆さんはどう思われましたか?
 サプライズやハプニニングはほとんどなく、出場者が期待された役割をきちんとこなした結果、「プロの学芸会」に仕上がっていたように思います。

 まず、曲順 が良かった!
 私は、いつも紅白の途中で、「あんまり面白くなさそうだな」 というところを狙って中座し、お風呂に入ります。けれど、今年は、演歌やポップス、大御所、初登場の歌手が、絶妙に入り混じっていたせいで、紅白中にお風呂に入れなかったくらいです。

 また、海外ロケなど、「とにかくお金使えばいいでしょ」、というような、安直なナリキン的演出がなかった のも、好印象でした。
 むしろ、バックダンサー、コーラス部隊などの ”非芸能人” を、人海戦術のように繰り出すことで賑やかさを出し、その一方で、1点豪華・切り札的ゲストのスーザン・ボイルと矢沢永吉を、いいタイミングで効果的に登場させていました。

 何より感心したのは、あれほどの多様な大人数が出演する「プロの学芸会」を、時間通りに行い切る運行ぶりです。
 中学生やら、ダンサーやら、オーケストラやら、コーラス部隊やら、子どもやら、AKBご一行様やら、大御所歌手やら・・・全く異なる扱い方をしなくてはならない、あれだけの大人数を動かすというのは、本当にすごいこと!
 大体、渋谷公会堂ってそれほど広くない建物だと記憶しています(昔、誰かのライブで行きました)。あの中を、大人数で移動するとなると、動線も相当きっちりと計算しないと大変なことになりそうです。
 外国人に、日本文化の一例として紅白の運行面を見せるといいかも。きっと、あれが生放送だって、信じてもらえないだろうなぁ。
 「2009年の紅白は、日本人の”技”を集結した番組!!」と言っても過言ではないいわ~、とすら思いました。

 視聴率も、40%超えしたんですよね。
 紅白って、せっかくそれだけの人を釘付けにしてるんだから、それなりの経済効果を産み出していないと勿体無い・・・と考えてみたのですが、先ず、NHKだから広告はナシ。
 せいぜい、視聴者にTVから紅白の投票をさせることでNHKにちゃんと受信料を払う人が増えるのと、出場者のCDが売れることくらい・・・しか思いつきませんでした。
 (ちなみに、元旦に近所のCD屋さんに行ったら、スーザン・ボイルといきものがかりのCDが売り切れてました。)

 このように経済効果、という視点だと、あまり拡がりはないかもしれないけれども、「共通の話題づくり」 には大きく貢献してますよね。

 これだけ多様化した日本の社会において、こんなにも大多数の人が同じものを観て、楽しんだり、あーだこーだ批判を言ったりする。
 オリンピックやWBCのように、日本人一丸となって熱狂的に 「がんばれ、ニッポン!」 になるのではなく、ユルくて、ある程度の多様性のある(歌手やNHKに対する悪口や批判も言ったりするわけですから)、でも、同一の時間を共有できているわけです。。

 そういう時間には、「国民の娯楽」的な匂いがあり、紅白がこういう時間を提供してくれて、そして、まだそういうものが日本で廃れていないということに、「なんか、良かったな」、と思ったりもします。
 私はまだ35歳なんで、「ホッとする」 まではいかないんですが。

 ということで、なんだか無性に紅白のことが書きたくなってしまった次第ですが、最後に、個人的に印象が強くて良かったなぁ、というパフォーマンスを書かせてください。

・ いきものがかり: 中学生の合唱とのコラボ。いきものがかりと中学生の想いがあふれてました。鍛錬を繰り返した上で表現される強い想いは、やはり伝わるものですね。
・ スーザン・ボイル: 美しく透き通る声と、めちゃくちゃ悲しい歌詞の "I dreamed a dream" が、絶妙なマッチングでした。
・ 嵐: ”華”がありましたね。今という時代の人気をさらいつつある人たちに特有の”華”でした。

posted by hana at 01:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

家族のカタチ、育児のカタチ

 今年、息子は3歳になりました。憎らしいことも沢山ありますが、とても可愛い存在です。

 我が家は、私が会社員として働いていますが、保育園にも通わせず、夫のP.Uががほとんどの育児をしています。
 こう書くと、よく、一般的な家庭における男女の役割が反転したような育児スタイルだと思われます。

 けれども、私たちは、P.Uは父親としての役割を、私は母親としての役割を、できる限り行おうとしています。

 例えば、平日の私の帰宅は、通勤に2時間かかることもあり、早い日で20:00、遅い日だと22:00以降になります。
 それでも、私が外食していなければ、私が帰宅後に3人揃ってご飯を食べて、それから、私は息子と一緒にお風呂に入ります。息子の就寝時刻は、毎日24:00ごろです。
 平日に息子と接する時間が短い分、週末は、歯磨き、着替え、トイレ、など息子の世話は私がなるべく行います。

 また、P.Uは、非常に厳しい父親です。とはいえ、しかめ面で厳しいわけではなく、普段は、明るく接し、息子の自由を制限せずに好きなことをさせます。悪いことをしたら、きっちり厳しく叱るのです。
 自由を制限しない、とは、小さい頃から、ベビーカーに縛り付けずに自分で歩かせたり、公園でも好きなように遊具で遊ばせたり、というようなことを指します。
 これには、P.Uが絶対に目を離さず、子どもを追い掛け回す必要があるため、相当な集中力と体力が必要です。
 一方、どれくらいきっちり叱るかというと、叩く、怒鳴る、すっ飛ばす(!)、「何で怒られていると思っているのか」と詰問までする、と並々ならぬ叱り方までします。
 しかし、一連の叱りが終わった後は、「かか(注:お母さんの短縮形で私のことです)に抱っこしてもらえ。」と私に抱っこをさせ、母親としての役割を譲ってくれます。

 このような私たちの育児スタイルについて、私の母からは、何度か“小言”を言われました。
 曰く、「毎晩そんなに遅くまで起こしているなんて、かわいそう」、「あんなに叱られては、萎縮してしまう」、等々です。
 
 それを受けて、「こんなこと言われた・・・」とグラグラしている私に、P.Uは何の迷いもなく、「あの子は、そういう家に生まれたんだから、仕方がない。」と言い切りました。

 実は、帰宅したら、ご飯もお風呂も終わって、息子が寝ていてくれたらどんなに楽だろう、土日くらいお休みさせてよ・・・と思ったことは沢山あります。
 しかし、P.Uは決してそれを許しませんでした。この生活スタイルは、P.Uが、半ば強制的に敷いたものなのです。
 職場復帰してからの2年半、「あなたはお母さんなんだから」、とP.Uに何回も叱られながら、この生活スタイルを続けてきました。

 でも、この生活スタイルのおかげで、息子は、日本の一般的な家庭よりも、両方の親と過ごす時間がずっと長いはずです。
 また、ここ最近は、私自身も、帰宅して息子の顔を見ると、仕事のことが一瞬吹っ飛ぶようになってきました。そんなこと、当たり前のことだと思われるかもしれませんが、何につけても自分中心な思考回路で生きてきた私に、このような瞬間が毎日変わらず訪れるということは、本当に大きな変化なのです。

 厳しい叱り方についても、叱るということは本当に大変なこと。あんな叱り方は、深い愛情と強い心がなくては決してできません。息子は、叱られると、大泣きするものの、しばらくするとニコニコ顔に戻ります。自分自身ではなく、自分の行動が叱られたと肌でわかっているからだと思います。

 「あの子は、そういう家に生まれたんだから、仕方がない。」
 そう言い切るP.Uには、「自分たちは、自分たちで決めたスタイルの中で、深い愛情を持って息子をきちんと育てている。」という、強い意志と、自分を信じる心があるのだと思いました。

 だから、私もグラグラしてはいけないのです。
 P.Uに「母にこんなことを言われた」、と泣きつくのではなく、私こそが母に向かって、「あの子は、そういう家に生まれたんだから、仕方がない。」と毅然と言い切らなくてはなりません。

 母親としてダメダメな私を、ここまで導いてくれたP.Uに感謝です。
 まだ道半ばです。我が家らしくて、強いお母さんになれるよう、がんばります。

posted by hana at 02:51| Comment(1) | TrackBack(0) | P.Uの説教部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

2009年の振り返り

 2009年も残すところあと5日ですね。皆さん、どんな年の瀬をお過ごしですか?
 今日は私の2009年を振り返ってみたいと思います。

【1〜3月:プロジェクトと診断士実務補習に、集中度Maxの時期】
 1年がかりのプロジェクトの本番稼動へ向け、次から次へと襲い掛かる難問に、全力で対処していた。信頼すべき人を信頼し、打ち手がないように思えても辛抱強くちょっとでも可能性のあることをしていれば、道が開けることを知る。
 この仕事漬けのさなか、あえて、15日間の診断士実務補習にも従事。辛くて楽しい、充実度の高い実務補習を経験できた。

【4月〜6月:新しい環境へ踏み出し、キョロキョロした時期】
 プロジェクトがひと段落し、職務内容も、現場に1つのプロジェクトにどっぷりという内容から、教育やスポットでの導入支援というマルチタスクな内容に変わる。
フォトリーディングを受講したり、診断士の研究会に参加したりと、仕事以外の世界を開拓し始める。
 今後どんなことに取り組んでいこうかと、方向性を思案し、結果として、一方向への集中した推進力は低下した。

【7月〜9月:今までのやり方に限界を感じ、もがいた時期】
 スポットで現場へ出るが、なぜか以前のように現場の仕事に集中できない。
 仕事に集中できないというのは、初めての経験で戸惑う。集中できないため、ダラダラと時間を使ってしまい、生活リズムも乱れる。
 改善すべく、なぜ集中できないのか、原因分析を行ったり、時間管理などに取り組むようになる。

【10月〜12月:少しずつ、ペースをつかみ出した時期】
 7〜9月の取り組みが少しずつ成果を見せ始め、こまごまとした1つ1つの仕事にも集中力を持って取り組めるようになってきた。ただし、まだ、スキルも未熟で、気持ちも弱いため、波がある。
 また、自分自身が手を動かしてアウトプットを出す仕事ではなく、他の人に良質なアウトプットを出してもらうための仕事をするようになる。このスキルを磨いていきたいという新しい意欲も沸く。

 総括すると、1〜3月は充実度は高かったけど、今までと同じやり方か、その延長でものごとをこなしていただけであり、ここ何年かの完成期というイメージです。
 4月からは、私の新しいフェーズが始まり、まだまだ方向性を定まっていないながらも、少しずつ動き出した感があります。
 収穫した畑を一度まっさらにして、土を耕して、いくつかの種をまいたところ・・なのかな。
 来年は、いくつかの芽を育てたいです。

 皆さんの2009年は、どんな1年でしたか? 

posted by hana at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする